一碧湖の魅力について

一碧湖は大変魅力のある場所です。そのいくつかをご紹介します。

一碧湖

1. ジオ的な魅力

 一碧湖は約10万年前に噴火した「火山」です。
 火山といっても山はありません。火山には大きく分けて富士山や箱根、天城山のような何回も噴火して大きな山になった複成火山と一回しか噴火しない単成火山とがあります。
 一碧湖は伊豆東部火山群(火山噴火予知連絡会が規定した全国で111の活火山の内の一つ)に属する単成火山の一つです。
 単成火山には大室山や小室山、巣雲山のようなマグマの飛沫が空中で固まり堆積した所謂スコリア丘を造るもの、マグマの粘性が高く、ごつごつした溶岩の山(溶岩ドーム)となって出現したもの(矢筈山=げんこつ山)そして、地下にあった水と高温のマグマが反応して大爆発(マグマ水蒸気爆発)したマールと呼ばれる3つがあります。
 一碧湖はそのマールです。約10万年前の同時期に門野、荻、一碧湖(大池、沼池)梅ノ木平、払火山が噴火しました。
 その後、今から約4000年前大室山が噴火し、溶岩が流れ下り、大地を埋め伊豆高原の別荘地帯や、景観の素晴らしい城ケ崎海岸を造りました。
 北側へ流れた溶岩は一碧湖に流れ込み、沼池の2/3を埋め、大池には一二連島を造りました。一碧湖はそういった伊豆の火山の歴史の1ページを飾る特異な場所なのです。

2. 多種多様な動植物の魅力

 一碧湖は静岡県でも珍しい湿性植物の宝庫です。
 多くのところでは開発が進み、湖沼が失われて貴重な植物がその姿を消していますが、一碧湖にはまだまだ多くの水辺の好きな植物たちがいます。
 チョウジソウを初め、クサレダマ、ヌマトラノオ、ハンゲショウ、エゾミソハギ、ミゾソバ、ミゾカクシ、タデ、ヒメガマ、サンカクイ、などなど
 また、照葉樹も豊富です。アオキの群生は貴重です。ヤブツバキ、シロダモ、アラカシ、スダジイ、クスノキ、イヌツゲ、ヒサカキ等々照葉樹があってこそ植栽されたサクラやカエデがまたその魅力を出してくれるのです。
 大木も素晴らしですね。ヒノキやサワラ、芝生広場のエノキは最高です。
 ナンキンハゼも心を癒してくれます。
水や植生が整っているのでそれを求めて虫や鳥たちがやってきます。
生態系にとって、とても大事で今や貴重な場所となっているのが一碧湖です。

3. 人々の生活、物語の存在

 一碧湖にはいくつかの言い伝え=伝説があります。人々は一碧湖を利用し生活をしていました。そこには伝説が生まれます。
 代表的な「赤牛伝説」は水辺には危険が伴うことを教えてくれています。
 明治になってからですが「雨乞い」の話では水の大切さを教えてくれています。
 「赤牛伝説」と同様、吉田の広栄寺の和尚さんが出てきます。
 「お経島」の赤い鳥居が緑の中にアクセントとなって人々の生活と自然との調和、素晴らしい景色を作り出しています。
 吉田隧道は水の大切さ、先人の知恵、感謝の気持ちを考えるのに大事なところです。
 史実とは異なるようですが、山口半五郎の伝説では吉田の人々の水への執着と優しさや感謝の気持ち、それが元となって雄大なドラマが演じられています。
 小説や演劇、映画になってもおかしくない素材がそこにあります。

4. 多くの人を魅了

 一碧湖に魅了された人々は我々だけではありません。
 与謝野寛・晶子夫妻も昭和5年以来、まだ国鉄伊東線が開通する以前から一碧湖に通い、数多くの歌を作っています。
 当時の伊東には一碧湖に限らず、温泉を求めて多くの別荘がありました。
 朝日新聞の論客、島谷亮輔は日頃の政財界、外交の諸問題から離れ、この一碧湖に安らぎの地を求めて「抛書山荘」を営み、終の棲家としました。
 奥様と晶子が新詩社の同人だった縁で家族ぐるみの付き合いが始まり、寛・晶子夫妻は足しげく一碧湖に通ったわけですが、300首を超える歌を作ったと言われています。
 その頃一碧湖周辺の一大開発計画がありました。
 いわゆる「白雲峡一碧湖」計画ですが、計画した資本家たちも一碧湖に魅了された人たちなのでしょう。
 計画自体は絵に描いた餅で終わりましたが、無秩序な開発がなされず、良かったと思います。
 平成26年4月、「一碧湖」の命名者が判明しました。やはりその杉山三郊も洞庭湖になぞらえるほど素晴らしいと思った人の一人なのでしょう。

 これから我々も一碧湖の魅力を伝えると同時に、この素晴らしい環境を守っていくことも大事なことだと痛感しています。

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